布教も済んだので「第2回風神録を100%楽しむ旅」にいってみたいと思います。
上諏訪駅から長野入りした我々は、keiさんの案内で手長神社をめざします。
軽く坂道を上り、学校のグラウンドの横をフツーに通り、あっさり到着。
拝殿をパシャリ。
ここは「手摩乳命(てなづちのみこと)」を祀っていて、別名は手長彦神。諏訪大社の祭神「建御名方神」に随従する神様だそうな。
諏訪子さまが使うスペルカードに[土着神「手長足長さま」]というのがあるように、建御名方神が諏訪大社に祀られる前からここでは信仰されていた神様でもあります。
そして手長足長さまとは、ヤマタノオロチ退治のお話に登場する夫婦で、クシナダヒメのお父さんとお母さんです。
クシナダヒメあたりになると、自分は某漫画でしか知りませんが。
山にある神社なので、街やら諏訪湖が見渡せます。
なぜか聖闘士聖矢の話をしながら車に乗り込み、次の目的地に向かいます。
前回も行ったった「諏訪大社下社秋宮」です。
ちょうど七五三の祈祷を受け付けてたので、参拝客が沢山いました。
どう見ても子供連れには見えない怪しい男が4人。大丈夫、俺の脳みそは7歳ぐらいなので問題無し。
適当に絵馬やら御柱を眺めながら参拝する。
その後「下諏訪町立歴史民族資料館」に足をはこぶ。
ただ中を見るだけでなく、館長さんらしきおじさんがいろいろと解説してくれました。
そもそも下諏訪の町は、中山道と甲州街道の合流地点にある宿場町。
そして、江戸と京都のちょうど中間地点にある町でもあります。
ここには温泉やら諏訪大社もありますので、江戸時代の頃は「ここまで来られれば旅は無事に終わる」とされるくらい縁起のいい土地だったそうな。
他にもお話を聞きましたが、次のお客さんの相手をするのでと、おじさんは途中でkeiさんにバトンタッチしてしまう。
いやはや、たしかに地元の人でメッチャ詳しいですけど、一応お客さんとして入ってるんですけど、まぁいいか。
ここには「偽官軍事件」の資料なども保管されていて、のりしおさんは大喜びで見てました。
自分は無知なもんで、赤報隊すら知りませんでしたが。
資料館で民俗学を堪能したのですが、食欲には勝てず、昼食にうなぎを食べる。
おじさん1食2000円とかのメニューはじめて見るんですけど、臆することなくうな重を注文。
なんせここは神々の地であり東方ゆかりの地、ケチケチしたら負けかと思う。
大丈夫「薄くて高い本」を購入しまくるよりは安い。
うなぎはメチャクチャやわらかくておいしかったです。また食べたいものです。
腹へりも治った所で、次の目的地へ。
川岸天竜河畔 諏訪明神入諏伝説の地。
諏訪大戦で勝利を収めた「建御名方命(たけみなかたのかみ)」を祀ってる場所ですかね。
えらく狭いです。負けちゃった神様を祀ってる「洩矢神社」の方がゴルフできるくらい広いのに対し、こっちはラジコンすら走らせられないくらいせまい。
まぁ、いろいろと大人の事情があったそうで仕方ない。
で、次は「洩矢神社」へ。
前と同じようなアングルで撮りましたが、注連縄が新しくなってました。
ここにはすでに「どう考えても自分らと同じ雰囲気の人」が参拝してました。
もうここは立派な観光スポットのようです。
洩矢神社を参拝した後に撮影。そろそろお日様が沈む頃。時刻はまだ16時をちょっと過ぎたきらいなんですけどね。
そして、次の目的地である守矢史料館に向かう。
が、残念ながら閉館時間の午後の4時を過ぎてしまってたので、中には入れませんでしたが、せっかくなので建物だけ撮影。
keiさんは申し訳なさそうにしてましたが、次に行く楽しみは取っておいた方がいいですし、あんま気にしないでいいと思います。
だいたい車とか無かったら半分も回れませんでしょうし。十分すぎますよホント。
この後「諏訪大社前宮」に行ったのですが、すでに日は山の向こう。
写真を撮っても、携帯デジカメの限界らしく、まっくらでなんも見えません。
そして「諏訪大社本宮」にも行きましたが、すでに星空がちらほらと。
神社がライトアップされるのって大晦日だけで、普段は真っ暗なんですね。勉強になりました。
しかしキレイな星空でした。135さんはモモンガが飛ぶのを見たそうな。
自分は「なんかしろいものが飛んでた程度」しか確認できなかったので、ちょっと残念でしたが。
そして適当なファミレスで夕食とモンハンを堪能。1時間程度でしたが、やはり4人でやるのは楽しいです。
PM8時頃、駅に到着。
keiさんにお別れと「次はこっちにも遊びに来てください」と告げ、電車に乗り込む。
しかし、こっちに来てくれたとして、何を案内すればいいのやら。
一応サンシャイン水族館に「リュウグウノツカイ」が見られるらしいですけど、やはり秋葉原ぐらいしか思いつかないダメ人間な自分でした。